Sierから地方公務員へ転じた20代男の戯言

Sier勤務から地方公務員へのジョブチェンジを経て今に至る20代男が、普段考えていること・読んだ本のレビュー等を書き連ねていくブログです。

【読後レビュー28冊目】嫌われる勇気 岸見 一郎, 古賀 史健

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

本文より。
あなた自身が変われば、世界はシンプルな姿を取り戻します。問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。

どんなもの?

 数年前一躍有名になり、今年ドラマ化もされた本作。人間の悩みは人間関係から発生するとし、他人からの承認欲求の一切を否定している。また今ここに集中することで精神的充足を得るとしている。究極的には、共同体(本書で言う共同体は時間軸を超え、国家、生物無生物など全てを包括する概念としている。)へ貢献できているという感覚を得ることで、人の精神的な悩みは消えるとしている。

 

今まで読んだ本と比べてどこがすごい?

 物語形式でアドラー心理学を説明しており、非常に理解しやすい。登場人物である哲人の語る語り口は非常に快活で、潔さを感じる。以下幾つか抜粋する。

アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します

たとえば、「神が見ているから、善行を積む」と考える。しかしそれは「神など存在しないのだから、すべての悪行は許される」というニヒリズムと背中合わせの思想です。われわれは、たとえ神が存在しなかったとしても、たとえ神からの承認が得られなかったとしても、この生を生きていかねばなりません。むしろ神なき世界のニヒリズムを克服するためにこそ、他者からの承認を否定する必要があるのです

人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです

 

議論はある?(自分の中で浮かんだ疑問や反証)

 筆者も言っているが、アドラー心理学では「誰から始めるか」という点が非常に課題になっている。アドラー心理学においては、誰かが何かを出来ない状態では、他者からの「勇気づけ」のアプローチが必要と話す。何らかの原因によって一歩を踏み出せない状態になっているため、誰かがくじかれている勇気を取り戻させる必要があるとの考え方だ。これにより、「私は誰かに貢献できている」と感じることが出来る。この勇気づけの行動は世界中全ての人が同時に始めるのであれば問題ないが、誰かから始めないと逆に始まることはない。極端な話、世界全員が「勇気が足りない状態」なのであれば、誰も勇気づけをすることは出来ない。また、誰も勇気づけをやろうとしなければ、勇気が足りない人は救済されない。

 
 

新しいと思った3点

・人間の人生の悩みは人間関係から発生する。もし世界中に自分しか存在しなければ、人生における悩みは発生し得ない。

・他人を羨ましがる思考ではいけない。人は誰しも違いを持っている。それは違いであって優劣の付けられるものではない。人は水平な地平を歩いている。前を進む者がいれば、後ろを進むものもいる。ゴールが先にあるのではなく、時間軸として前なのか後なのかという問題だ、と考え直すことが出来る。

・仲良く暮らしていきたいのであれば、互いを対等な人格として認めなければいけない。

 
 

自分の中での気付き:

この本を通して自分の生活を振り返ると?

 仲良く暮らしていきたいのであれば対等な人格として互いを認めること、と言うのはぐさっときた。どちらかがどちらかにもたれかかりすぎてもいけない。かと言って全く興味のない状態ではそもそも一緒にいる意味がなくなってしまう。現実問題としてどのように実現するか難しいと感じた。

 

気づいた結果として起こそうと思う行動:

この内容を使える場面は?

 今ここに集中する、というのは単純にライフハックとして使えると思った。まず手を付けてみる、0秒思考など「人は着手し、継続していくうちに面白さややりがいを感じてくる」という人の性質に則っていると思った。

 
 

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