Sierから地方公務員へ転じた20代男の戯言

Sier勤務から地方公務員へのジョブチェンジを経て今に至る20代男が、普段考えていること・読んだ本のレビュー等を書き連ねていくブログです。

【読後レビュー24冊目】「やりがいのある仕事」という幻想 森 博嗣

 

「やりがいのある仕事」という幻想

「やりがいのある仕事」という幻想

 

 

本文より。

面接に臨む若者は、仕事に対してやる気があるところを見せる。「やりがいのある仕事がしたい」と言葉では語るだろう。しかし、そもそも、「やりがい」というものがどんな概念なのか、若者たちはまだ知らない。知らないのに、言葉だけでそう言って、気に入ってもらおうと振る舞っているだけなのだ。そして、振る舞っているうちに、自分でも、言葉だけで「そういうものがあるはずだ」と信じ込んでしまう。  これが、「仕事のやりがい」という幻想に関して生じる問題の根源だ。

 

A 本の要約:

  1. どんなもの?
    作家である筆者が、若者の間で言われる「やりがいのある仕事」について、自身の体験を交えながら「そんな仕事はない」と説いている。その上で、「こう考えたほうが上手く生きていけるよ」というソフトランディングな方法を解説している。

  2. 今まで読んだ本と比べてどこがすごい?
     筆者はまず職業に貴賎はなく、どんな仕事をしている人でもまた、仕事をしていてもしていなくても本質的には人の価値は変わらないと話す。その程度の価値しか仕事には無いからだ。
    繰り返すが、職業に貴賤はなく、どんな仕事でも偉い、偉くないということはない。無職であっても、人の価値が下がるわけではない。同様に、金持ちが貧乏人よりも偉いわけではない。どんなに仕事で成功しても、人間として偉くなれるわけではない(中略)
    国を動かすとか、未来を築くとか、それは個人の力によるものではない。そういう力を持っていると錯覚しているだけだ。権力を握るのも、大きなお金を動かすのも、仕事上の立場、つまりルール上に成り立つものであって、個人として特に偉いわけではない。「俺が国を動かした」と言いたいのかもしれないが、せいぜい、「関わった」という程度のものにすぎない。そんなことを言ったら、ほとんどの人が国を選挙を通じて動かしている
     その上で、社会で安心して暮らしていくには「仕事はしなくてはいけないものである」という前提を持って話を進める。
    当たり前の話だが、仕事の目的は金を稼ぐことである。義務とか権利とかそういう難しい話をしているのではなく、ただ、この社会で生きていくためには、呼吸をするように、トイレにいくように、ものを食べるように、やはり「働くしかない」ということ。もう少し別の表現で言うと、生きていくには、「働くことが一番簡単な道」なのである

    そうして、仕事は時間と賃金の交換であると述べ、「自分は何なら自分の時間を交換してもいいかを考える」こと、ひいては「自分にとって何が価値のあることなのか」を考えるように推奨している。自分の未来を想像し、何が自分にとって嬉しいのか、どうなれば自分は成功だと感じるのかを考えること。これが必要だと筆者は説く。
    人それぞれに生き方が違う。自分の道というものがあるはずだ。道というからには、その先に目的地がある。目標のようなものだ。まずは、それをよく考えて、自分にとっての目標を持つことだ。 「成功したい」と考えるまえに、「自分にとってどうなることが成功なのか」を見極める方が重要である

    何が自分にとって嬉しいのか、どうなれば自分は成功だと感じるのかを考えること。これが必要だと筆者は説く。そしてそれは本当に考えただけではわからない。「たぶんこれ」という仮の正解を実際にやってみることで、答え合わせをする。「これは違った」と失敗することがあるかもしれない。「やはり成功だった」と一発で正解を引き当てることは稀だろう。しかし、正解を求めて仮の正解に対していくつもやってみること。これが必要だと筆者はいう。その過程が人生の中に潤いをもたらしてくれるはずだ。



  3. 議論はある?(自分の中で浮かんだ疑問や反証)
     疑問でも反証でもないが考えたことを。オトナたちが「仕事は楽しいものだ」「勉強は楽しいものだ」という理由は何となく分かる。そう言わないと子どもたちがまずやる気を出さないからだ。しかし、一番可愛そうなのは「楽しくない」とそれらを敬遠した結果、どうしようもなくなってそれらと直面せざるを得なくなったときだ。そのつけを払うのは誰でもない子供達本人なのだが。


  4. 新しいと思った3点

    なんとなく、意味もわからず、「仕事にやりがいを見つける生き方は素晴らしい」という言葉を、多くの人たちが、理想や精神だと勘違いしている。それは、ほとんどどこかの企業のコマーシャルの文句にすぎない。そんな下らないものに取り憑かれていることに気づき、もっと崇高な精神を、自分に対して掲げてほしい。それは、「人間の価値はそんなことで決まるのではない」という、とても単純で常識的な原則である

    ・勉強は楽しい、仕事は楽しい。それらは子供自身が思って発信した言葉ではなく、周りの大人達から刷り込まれ、「勉強は楽しいよね?」という刷り込みがあって生じている感情である。その上、楽しいと思うことをやろう、と奨励された子どもたちは楽しくないとそのことをやめてしまう。もし辛いことがあればこのゲームから降りてしまえばいいと考えるようになる。それでは短時間にしかものになる類のものしか続けられないだろう。

    自分の生き方に関する問題は、どこかに解決策が書かれているはずがない。検索しても見つかるはずがない。どんなに同じような道に見えても、先輩の言葉が全面的に通用するわけでもない。自分で生きながら、見つけるしかないのである


B 自分の中での気付き:

  1. この本を通して自分の生活を振り返ると?
     筆者も本文中で書いていたが、仕事の中で楽しいと思う瞬間は1割あれば上々だと思う。大概の瞬間は面倒だったり、しんどい思いをする。自分の感覚としてはそのような思いがあるが、雑誌などのインタビューを見ると「10割楽しい」くらいの人のインタビューばかりが載っている。これがギャップを起こす原因だろう。
 
 

C 気づいた結果として起こそうと思う行動:

  1. この内容を使える場面は?

    大きな期待を仕事に対して掛けすぎない。
    それでも期待がより大きい職場に行けるように努力をする。

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